僕はもともと登山が好きではなかったですし、登山に魅力を感じていたわけでもありませんでした。
僕が記憶しているところでは、初めての登山らしい登山は富士山。
まだ、高校生だった僕は、夏休みに家族と一緒に真夜中に五合目から富士山に登り、日の出を見たのでした。
その時の思い出は、楽しかったというよりも辛いもの。
高山病による頭痛がひどく、頂上に着いたと同時に下山をしました。
下山道のざらざらとした砂地が歩きづらく、同じような道が永遠と続くその道は面白くありませんでした。
当時、岡山に住んでいたので大山(だいせん)にも登ることがありましたが、それも楽しいというより体力的にきつかったという思い出が残っています。
10代の頃の僕は、山に登ることはあっても特段に魅力を感じていませんでした。
その後、月日は流れて社会人になって上京し、それから数年が経ち、20代半ばを過ぎてある会社に転職をしました。
そこではものすごく仕事が忙しくて朝から夜まで仕事、仕事、仕事。
平日にプライベートの時間なんてありませんでした。
週末は疲れた体を休めるため、ただ眠るだけの日々…
当時、趣味もなかった僕は仕事と眠ることを繰り返す、代わり映えのない毎日を過ごしていました。
ところが、次の一言をきっかけに僕の人生に魔法がかかることになります。
「一緒に山に登りませんか?」
その会社には登山部があり、ある時、その登山部の部長に山に誘われました。
「んん、登山?」
その部長は管理部にいて、僕とは違う部署。
席も遠く、仕事でほとんど絡むこともなく、何となく硬い人というイメージ。
そして、その部長と二人で登山に行くという話だったので戸惑いました。
それでも、無下に断るわけにもいかず…
まあ、暇だし。ということで僕は誘われるがままにOKの返事をしました。
なぜ、誘われたのかははっきりと覚えていませんが、僕が自転車で泊まり旅をしたことがあるという話を聞きつけ、アウトドア好きと思われたのがその理由だったと思います。
その会社には登山部はあったものの、実質的に活動しているのはその部長だけ(笑)
そんな部長に連れて行ってもらった山は、奥多摩の御岳山でした。
「動きやすい恰好にスニーカー、リュックを背負って来てください」
とだけ言われ、現地に行きましたが最初の登山で早くも失敗します。
登山 = フリース と頭にあった僕は街着のフリースジャケットで行きましたが、道を登り始めると暑すぎてすぐに脱ぎました。
街着のフリースは登山用と違って、防風用にラミネートがされていたんですね。
リュックにしまおうとしましたが、リュックが小さすぎてフリースジャケットが入らず腕に抱えて歩くことに。
フリースジャケットが邪魔でしょうがなかったのを覚えています(笑)
御岳山はケーブルカーを使わずに麓から登っていったのですが、すぐに汗だく。
こんなにも登山が汗をかくとは思ってもいませんでした。
僕はこの頃、自転車で毎日出勤したいたので体力にある程度の自信があったのですが、初っ端から息も絶え絶えの状態でした。
「登山ってこんなにも辛いのかー、嫌だなー、早く帰りたいなー」と思ったことを覚えています。
そんな僕を見て、部長が貸してくれた一本のストックを使って、とても楽に歩けるようになったことを今でも覚えています。
御岳山の巨木に感動。東京にもこんな手付かずの自然があることに驚いた
会社では硬くて寡黙なイメージの部長も登山中はおしゃべりで、
「こんなにキツイのに、しゃべれるなんてすごい」と思った反面、「今は苦しいから話しかけないでくれ」とも思いましたね。
やっとこさ頂上に着き、お昼ごはんの場所を探してベンチのある気持ちのいい所に落ち着きました。
ふと目をやると、謎の拳法集団らしき人々が刀や拳を振り回していて、「あれは何者だ!」と呆気に取られてことを鮮明に覚えています(笑)
山頂で食べたのはカップラーメン。
部長がバーナーでお湯を沸かしてくれました。
外でお湯を沸かすその行為がすごく楽しくて、そして少し肌寒い山の中で食べる温かいカップラーメンがすごく美味しくてものすごく感動しました。
部長に沸かしたもらったお湯でカップラーメンを食べる
普段は何も感じないカップラーメンが、体中にその美味しさが染みわたって、
「カップラーメンおいしー!」となり、そのことが僕に登山の楽しさを教えてくれたきっかけになりました。
極めつけはウインナー。
部長がこっそりと持ってきて、焼いてくれたウイナーがこれまた格別でした。
「部長、かっこえー」とも思いましたね(笑)
ここまでが僕が覚えている、僕が登山にはまるきっかけとなった御岳山の記憶。
下山のことは、ほとんど覚えていません。
この美味すぎる山ごはんが、僕に登山の魔法をかけました。
この後、僕は山にどはまりし、どんどんと山の魅力に取りつかれることになります。
その後、夏になると登山用のリュック、登山靴を購入して本格的に登山にはまっていきます。
部長には同じく奥多摩の川苔山や、丹沢の大山や檜洞丸など色々な山に連れて行ってもらいました。
今でも、年に何回か一緒に山に登っています。
山に魅了された僕は部長と隔週ぐらいで山に登り始め、登山の道具にもこだわるようになり、ストックにバーナーと登山グッズを買い足していきます。
それから、部長の都合が合わない時は単独で登山をするようにもなりました。
登山を本格的に始めて一年が過ぎた頃、テント泊を意識するようになりました。
というのも、僕は神奈川県に住んでいるために近隣の奥多摩や丹沢の山には良く登ってはいましたが、日帰り登山ばかり。
その他の山域は手付かずでした。
登山の雑誌を見ると、そこに並んでいるのは日本アルプス。
自然と日本アルプスが憧れの山域になっていきました。
「日本における高山地帯の代表格で、多くの登山者が訪れている」と、書かれたそれらの雑誌を見て、どうしても雲の上の高い山に登りたくなっていきました。
そして、とうとう連休を利用してある日本アルプスの山でテント泊をすることを決心します。
その目的地は南アルプスの北岳。
2泊3日で北岳、間ノ岳、農鳥岳の縦走を計画しました。
この山・ルートに決めた理由は単純で、北岳が日本で二番目に高い山だから(笑)
「富士山は登ったことがあるから、日本で次に高い山に登ろう」という、ただそれだけのことでした。
モンベルでテントを買って、好日山荘でシュラフにマットを買いそろえました。
グレゴリーのリュックも新調。
前準備が一番楽しいですよね、テント泊って。
ヤマケイアルペンガイドの南アルプス編を購入して、何度もルートを読み込んだことを覚えています。
「この時刻のバスこ乗って、このルートから登って、ここでテントを張って…」
と入念に準備をしました。
が、初めてのテント泊は苦くも思い出深いものになります。
北岳への登山口となる広河原
バスに揺られて出発地点の広河原に到着し、目の前に広がる野呂川と、その向こう側の大きな山に圧倒されました。
「これからここを登るんだ」
という、不安と期待が入り混じったドキドキした気持ちで道を歩んでいきました。
この山行では想定外のことが色々とありましたが、最初の想定外はザックの重さでした。
テント、シュラフと色々な物を詰め込んだ重いザックは、体力をどんどん奪います。
進んでは休み、進んでは休みの連続でかなり苦しかったのを覚えています。
それでも、今までに見たことのない苔が美しい深い森に感動。
これまで体験したことのない、雄大な自然に魅了されました。
登り続けて白根御池小屋に着いた頃には、もうヘロヘロの状態に。
そこで初めてテントを張り、食べたカレーが美味しかったこと!
僕の他にはテントが一張あるだけで、静かな夜を過ごしました。
初めて張ったモンベルのテント
翌朝は7時半に出発。
今考えれば遅い出発ですね(笑)
ここから小太郎尾根を経由して北岳に向かったのですが、かなりの急登で前日以上に全く前に進めず…
尾根に向かう途中で、「これは登れないんじゃないか」と何度も思いました(笑)
それでも、歩き続ければ上に行けるのが登山。
尾根近くなると、いつの間にか雲の上に!
この時の感激は忘れられません。
その時に、「日本アルプスに来たんだ!」と実感できました。
小太郎尾根に出ると雲が下に見えた。奥には富士山の姿
肩の小屋を通過して、ゴツゴツした岩道を歩いて何とか北岳に到着。
雲上の富士山を見ながらご飯を食べました。
高山から眺める素晴らしい展望に浸りながらも、体力は限界に来ていました。
当初は農鳥小屋に泊まる予定でしたがコースタイムが大幅に遅れていたので、急遽、北岳山荘に宿泊先を変更。
山荘の裏にテントを張りました。
予備日を設けていたので、この時点では明日からは予定通りに間ノ岳→農鳥岳を縦走するつもりでした。
しかし、この後にさらなる想定外の出来事が…
夜にサラサラという音で目が覚めます。
「何だろう?」
と思ってテントのジッパーを開けると、雪が降っているではありませんか!
「まあ、朝には止んでいるだろう」
と呑気に考えていましたが、翌朝、外に出てみると辺り一面は雪景色。
その瞬間に思ったことは、
「俺、死ぬかもしれない」でした(笑)
朝起きると雪が積もっていた…
その当時、雪山の経験がなかった僕は、
雪山 = 超危険 = 死ぬ でした。
アイゼンなどの冬山の道具は何も持っていなかったので、かなり焦ったのを覚えています。
実は、北岳に登ったのは10月の中旬。
南アルプスでは十分に雪が降る可能性がある季節ですが、高山の経験がなかった僕には全くの想定外のことでした。
無知もいいところですね(笑)
焦っていた気持ちを落ち着け、取りあえず縦走は取りやめて元来た道を戻ることにしました。
6時過ぎに起床したものの、歩いたら命がないんじゃないかと思っていた僕は、中々出発できずにいました。
それから3時間が経った午前9時前に、天気が良くなったのを見計らって歩き出しました。
最初の雪山が北岳になるとは(笑)
歩き出しは生きた心地がしませんでしたが、実際に歩いてみると新雪のために意外と問題なく、逆に楽しんで歩いたのを覚えています。
雪に覆われた北岳が美しかったです。
雪山 = 超危険 = 俺かっこいい
みたいな自惚れた感じだったでしょうか(笑)
写真を撮りまくっていました。
雪で覆われた北岳山頂とテント泊用に購入したグレゴリーのザック
小太郎尾根を下り始めると雪もなくなり、
「生きて帰れるんだ!」とホッとし、涙が出そうになるぐらい嬉しかったです。
ただ、体力はもう限界を超え、脚はプルプルと震え始めていました。
そんな折、巨大なザックを背負った大男が「こんにちは!」と挨拶をしたかと思うと、すてすてと颯爽と下っていったのを見て、「僕もああいう山男になりたい!」と思ったのでした。
バス停の広河原に着いたのは16時前。
そこから先の記憶はありませんが、僕にとって忘れられない初めてのテント泊になったのでした。
【後編】趣味のなかった僕が登山の魔法にかかったお話 – 雪山に登り、厳冬期テント泊を行う >>